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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

ハレの演出と飾瓶子(かざりへいし)

≪ 松竹梅蒔絵瓶子≫( 大阪天満宮蔵)

 

瓶子(へいし)は酒器の一種で、古来より酒を杯に注ぐための瓶や、神酒(みき)を入れる神饌具(しんせんぐ)として用いられてきました。瓶子の多くは、細い注ぎ口に張りのある肩部、くびれた胴部、末広がりの底部といった外見的特徴をもっています。

 

陶磁器をはじめ、銀や錫(すず)、銅などの金属製、木材を轆轤(ろくろ)成形した挽物(ひきもの)などがあり、古くは「へいじ」とも呼ばれました。『平家物語』の中では、京都の鹿ケ谷(ししがたに)で藤原成親(なりちか)らが平氏打倒の密談を行っていた際、その場にあった瓶子が倒れたのを見て、「へいし(平氏)が倒れた」と皆で喜んだエピソードが語られています。

 

今回紹介する《松竹梅蒔絵瓶子》は大阪天満宮が所蔵する二口一対の瓶子で、高さが五十センチ、最大径が二十三センチと、家庭用の徳利(とっくり)などに比べるとかなり大型のつくりをしています。製作の工程としては木製の素地の上に麻布を着せて漆下地を施し、全体に朱漆を上塗りした後に、縁起物である松竹梅の文様を金銀の蒔絵技法で華やかに描いています。

 

江戸時代中期に活躍した国学者・山岡浚明(まつあけ)(一七二六〜一七八〇)による『類聚名物考(るいじゅうめいぶつこう)』には、酒器として用いられていた銀や錫製の瓶子の他に「飾瓶子」に関する記述があり、ここでは

 

「はれの時儀式には一対置物とす。酒入ず、木にて作りて、箔をおして、鳳凰桐雲などを極彩色とす。口をば絹にてつつみて、同色の平紐にても口をくくり、又は組紐にても口を結ぶ也。高さ大かた二尺ばかりなり。」と紹介されています。

 

それぞれの瓶子に施された加飾(かしょく)技法の違いはありますが、素材や大きさ、意匠などから判断すると、本作も著者が言うところの飾瓶子に属すると考えられます。

 

『郷土研究 上方 続郷土玩具号』表紙絵( 当館蔵)

 

昭和十五年(一九四〇)七月に発行された『郷土研究 上方 続郷土玩具号(第百十五号)』の表紙絵には、御迎え人形(船渡御を奉迎する御迎え船に飾られた風流人形)「八幡太郎義家」の前に置かれた一対の瓶子が描かれており、本作も天神祭をはじめとする祭礼の際に神前に供えられていたとみられます。

 

瓶子の底裏には周縁部に沿って多くの擦れ跡があり、本作が特定の場所に安置されるのではなく、様々な場所に持ち出されて披露されていたことを想像させます。

 

本作に附属する外箱には、弘化二年(一八四五)に奉納されたことを示す墨書があり、その製作年を知ることができま
す。奉納の翌年に、四十四体もの御迎え人形を紹介した『天満宮御神事 御迎船人形図会』が刊行されていることを踏まえると、本瓶子もまた江戸時代において天神祭の華やかさが最高潮に達しつつあった時期の作品として注目されます。
 

 

※本作は令和五年七月八日(土)から九月三日(日)の間、大阪くらしの今昔館の企画展「天神祭と都市の彩り」にて展示します。

 

 企画展「天神祭と都市の彩り」
2023年7月8日(土)〜2023年9月3日(日) のご案内

 

 

 大阪で最大規模の都市祭礼である天神祭。菅原道真公を奉戴した御鳳輦(ごほうれん)が壮麗な渡御の行列とともに氏地を巡る様子は、古くから様々な書物の中で取り上げられており、江戸時代には色彩豊かな錦絵などを通じて、その賑わいが全国へと伝えられました。

 

元禄年間(1688年~1704年)以降になると、御旅所(おたびしょ)周辺の町々では当時人気を博していた歌舞伎や浄瑠璃の登場人物などを題材にした絢爛豪華な御迎え人形が作られるようになり、天神祭の演出は一層華やかさを増してゆきました。

 

江戸時代後期には50体を超えていたとされるこれらの人形は、祭りの日にあわせてそれぞれの町角で飾り立てられた後、氏子や崇敬者の仕立てた船に載せられ、船渡御の一行を奉迎する役割を担っていました。

 

 本展では現存する御迎え人形(大阪天満宮蔵・大阪府指定有形民俗文化財)の一部をはじめ、大阪天満宮が所蔵する天神祭に関する貴重資料を公開します。また、今昔館のコレクションの中から納涼や夏祭りにちなんだ絵画作品などをあわせて展示し、円熟した町人文化のもとで育まれてきた都市祭礼の伝統とその魅力を紹介します。

 

企画展の詳細はこちらをご欄ください。