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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

廻船問屋の蒔絵重箱

帆掛船蒔絵螺鈿重箱(京都国立博物館蔵)

 江戸時代の和泉国(現大阪府)貝塚は浄土真宗願泉寺(がんせんじ)の住職、卜半(ぼくはん)家が地頭として治める寺内町(じないちょう)でした。十八世紀初頭の貝塚には、小舟を用いて近国の穀物や肥料などを売買する問屋がありましたが、やがて卜半家の後援により、遠方との取引に力を入れる商家が登場しました。天保六(一八三五)年に卜半家より「広い海」という苗字を授かり、主に米穀を扱う廻船問屋(かいせんどんや)として開業した、廣海惣太郎(ひろみそうたろう)家(以下、廣海家)もそうした商家の一つでした。

 

 十九世紀、日本海から瀬戸内海を通って畿内に至る西廻り航路において、輸送業と商業を兼業した商人の船を一般に北前船(きたまえぶね)と呼びます。廣海家は近港の廻船問屋よりも船主に有利な条件を提示することで、越後国(現新潟県)南部の北前船をはじめとする多くの船を貝塚湊に呼び込みました。創業当初は主に米穀を扱っていましたが、次第にその中心を肥料取引に移し、近代には貝塚を代表する肥料商として地域経済を支えました。また一八五〇年代には遠方の取引先に加えて、大坂や堺の船持商人とも取引を行うなど、日本各地における商品生産の拡大に流通面で大きく貢献しました。

 

 今回紹介する《帆掛船蒔絵螺鈿重箱》(ほかけぶねまきえらでんじゅうばこ)(京都国立博物館蔵)は、廣海家の広大な敷地に現存する四棟の土蔵(登録有形文化財)に収められていた、膨大な数にのぼる歴史資料のうちの一点です。江戸時代に製作された四段重ねの重箱で、蓋裏と各段の底部に設けられた二本の桟(さん)によって重ね合わせる構造となっています。重箱の外面には黒漆を背景に金銀の蒔絵(まきえ)を主体として、大波の中を進む三隻の帆掛船がダイナミックに描かれており、また船体や帆の一部にはきらびやかな螺鈿(らでん)を用いることで、全体の色調にアクセントが加えられています。廣海家に伝わった絵画や工芸品の中には、本作のように波や船を主題にした作品がいくつかあり、これらはまさに廻船問屋としてのアイデンティティを象徴していたと言えます。重箱の内部は朱塗りで仕上げられていますが、後に塗り直したような箇所が見られることから、修復を加えつつ、世代を超えて大切に使われてきたことが窺えます。

 

 本作は令和二年十二月十九日から令和三年二月十四日までの間、大阪くらしの今昔館主催の企画展「くらしと漆工」にて展示しています。貝塚の豪商(ごうしょう)廣海家で代々受け継がれてきた、この魅力溢れる重箱を是非会場でご覧ください。

(参考図書:京都国立博物館編『貝塚廣海家コレクション受贈記念特別展 豪商の蔵―美しい暮らしの遺産―』京都国立博物館、二〇一八年)

上田 祥悟(大阪くらしの今昔館学芸員)