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大阪の暮らし・まちづくり魅力再発見!

投稿日 2007年3月21日(水)
更新日 2007年3月21日(水)

~平成18年度「住むまち大阪STYLEシンポジウム」~

大阪にはたくさんの魅力あふれる文化やまちなみ、そこに暮らす人びとの知恵や繋がりがあります。しかし日々の生活においてその魅力は埋もれてしまいがちです。 3月21日に行われたシンポジウムでは、そんな大阪のまちの魅力の再発見に取り組んでいる4つの活動を紹介し、事例報告を行ってもらいました。また、単に情報を発信するだけでなく、参加者全員が4つのグループにわかれ、活発な意見交換を行いました。 

●第一部事例報告
●第二部交流会(ミニラウンドテーブル)
第一部の事例報告では、4つの地域(放出、阿倍野・住吉、三休橋筋、中崎町)を中心にまちづくりを行っている4人の方々に、実際の取り組みやまちの魅力を語っていただき、お互いに質問をぶつけあうディスカッションが行われました(事例報告の内容については、3,4ページを参照)。
第二部ではそれぞれ4つのグループにわかれ、テーブルを囲んで交流しあう、ラウンドテーブルが開かれました。新しい繋がりが生まれるなど有意義な場となりました。



■まずはできることからやってみる
篠原さん:宗宮さんのお話では、まちのなかにはもともと地域活動に参加したがっている人たちが埋もれていた。そういう人たちが「あいより」をきっかけに集まるようになり、まちが活性化していったというお話だったと思います。どうしたらそのようにできるのでしょうか。
 
宗宮さん:今までの地域活動では、お年寄りや決まった顔触れが集まっていました。取り組む内容が違ってはいるもののいつも同じメンバーだったんです。しかし久先生のアドバイスもあって、とにかく声を掛けて、まずは交流の場を持つことにし、テーマや結論を堅苦しく設定しないで流れにまかせてみたんです。そううと考え、最初に大工さんを訪ねました。大工さんというのはたくさんの職人さんと一緒に仕事をしていますから、繋がりがあるんですね。その大工さんには、ふすま屋さんを紹介してもらいました。そしてふすま屋さんからは畳屋さんを、畳屋さんからまた別の職人さんを・・・というふうに芋づる式にメンバーを集めました。あすの会もはじめは寄り合いのようなところから始まりました。メンバーは自転車で通える範囲の人しかいませんし、できることから始めていくという雰囲気のなかで、いろんな方と徐々に繋がりができてきたと実感しています。
 
久さん:事例報告で菅さんもおっしゃっていましたが、「会で何かをしよう」と気構えないことが重要だと思います。どうしても組織をつくると何かをやろうとしてしまいますが、場をすると思っていたよりはるかにいいものができてきました。まだ1年しか経っていませんがいつも驚きの連続です。
 
久さん:私が申し上げたいのは簡単なことで、「できることしかできへんやんか」ということです。まちづくり活動で動きが止まる理由は、たいてい理想が大き過ぎて一歩が踏み出せなくなるからです。そうではなくて、自分たちの体力に合わせて一歩一歩進めていく。そうでないと始まりません。そしてそれをいかに繋いでいくか、そのための場所づくりが大事だと思います。その点では「あすの会」も同じような「場所」としての機能を果たしていると思うのですが、どのような形で始まり、どういう形に広がってきているのか、そのプロセスを教えていただけませんか。
 
菅さん:まず、いろんな職種の職人さんを探そ設けるということが重要なんですね。集まった人がそれぞれできることをやっていけばいい。みんなが一丸となってやろうとすると大変ですが、できる人同士が小さなグループをつくって活動していけばいいわけです。「あすの会」も「あいより」も同じような動きをしていると感じました。

■地域とのコミュニケーションの大切さ
宗宮さん:西尾さんに質問ですが、最初に近づいてくるのはどのような年代の人でしたか?
 
西尾さん:最初は子どもたちでしたね。次はお年寄り。「何をしているの?」と声を掛けてくれて、そこから会話が始まりました。僕は髪も長いし怪しまれることもありますから、絶対にこちらから声は掛けません(笑)。「おはようございます!」と挨拶だけして、向こうから声を掛けられるのを待ちます。
 
宗宮さん:まちに住むたくさんの人たちに支えられてお店が完成し、経営もうまくいっているということでしたが、はじめからそううまくいくとは分からなかったと思うんですね。そのあたり、最初はどのような展開を考えておられたのですか。
 
西尾さん:差し入れだけで食べていくとか、ゴミを出さないで改修をしようというアイデアは途中から出てきたんですが、ある程度うまくいくとの予想はしていました。人体実験的なところがありましたね。僕が心がけたのは、「こんなことできます」「あんなことできます」と言うのではなくて、正直に「教えてください」ということでした。そうしたらとてもうまくいきました。
 
宗宮さん:なぜ中崎町にしたのですか。
 
西尾さん:じつは全国でこのような活動のできる場所を探していたんです。僕は日本人的なコミュニティのなかからアート作品を勉強しようと思っていたので、そういった意味では田舎の方が都合がいいわけです。しかし芸を見せるのが仕事なのでお客さんが来ないと困るわけです。そこで都心部に残された下町というのに目をつけました。街でもあり田舎でもある。地蔵盆をしているすぐ横には大きなデパートがあったり。そして僕が見てきたなかで一番景観にギャップがあったのが中崎町でした。一つの視野の中にも戦前と戦後が一気に見える。ここはまさに景観遺産だと思っています。

■活動を継続することの難しさと喜び
菅さん:宗宮さんに質問ですが、自転車の問題というのはかなり継続する力がいると思います。音楽イベントに比べるととても辛い作業ですよね。どのように実践されているのですか。
 
宗宮さん:サポーター制度というものを発足しています。20の町会から各5名ずつ、合計100名を超える方が指導員として登録されています。町会単位で持ち回りですが、個人の実際の活動の負担は年に2回程度です。とはいえこれが4年も続いたというのは、ひとつには目に見える効果があったからですね。自転車を止めている時間というのはじつは5分か10分くらいなんですよ。ですから10分くらいじっと立っていたら、駅前から自転車がどんどん減っていきます。そうするとめちゃくちゃ手ごたえがある。地元の人間が挨拶をしながら実施していますからそれほどトラブルはありません。
 
菅さん:放出ではそういう町会の活動はけっこうあるのでしょうか。
 
宗宮さん:フットワークが軽いので、ほかにも「片付け隊」とか「青パト」とかいろいろやっています。放出は区内ではひったくり被害数がトップだったのですが、青パトをやっている間の数ヶ月間被害数が0になりました。そういうこともあってますますやる気にあふれています。少し息切れすることも正直ありますが、効果が見えていますので続いています。
 
久さん:みなさん活動は違いますが、共通点がいろいろとありますね。ひとつには、最初からあまり大きく思わずにひとりでもできることから始めていることです。その結果として人が集まってくるのだと思います。まずは動いてみて、それを広げていく、声を掛けていく、そういった繋がりがどんどんできてくることが秘訣かなと思いました。ただ、その場合には少し仕掛けが必要で、人の目に触れるところでやらないといけない。皆が参画できるような形に開いていかないといけないなと思いました。
もうひとつは、「一緒にやろう」という呼びかけをしていくこと。西尾さんの場合は「助けてください。私できませんねん」と正直に言ったことによって人が集まってきた。宗宮さんの場合は第一回の音楽サロンが終わったときに「次にやるとき一緒にやってくれませんか」とさらに呼びかけることによって、さらなる人の繋がりができました。こういう呼びかけが、活動を広げていくもうひとつの大きな秘訣だと思います。今日のシンポジウムがそういった大阪市内の活動のきっかけになればと願っています。どうもありがとうございました。
●コーディネーター

久 隆浩
(ひさ・たかひろ)
近畿大学理工学部社会環境工学科教授。豊中駅前地区のまちづくり支援をきっかけに関西各地で住民主体のまちづくり支援活動を展開。近年は商業から福祉までさまざまな分野のまちづくり研究を行っている。

●コンテイター

宗宮 恵司
(そうみや・けいじ)
地域活動グループ「あいより」メンバー。「交流の場から始まるまちづくり」をテーマに地域の情報交換の場を提供。「花と音楽のまちづくり」等を通じて住み心地よい環境を創造している。


西尾 純
(にしお・じゅん)
salon de AManTO(天人)主宰。中崎町にある築100年廃墟同然の長屋を再生しカフェをオープン。現在、子どものたまり場・文化交流拠点として、新しいコミュニティの創生や多世代交流を実現している。


菅 正太郎
(すが・しょうたろう)
阿倍野・住吉を中心に活動する職人ネットワーク「あすの会」世話人。まちを住みよく変えていくことをめざし、地域に密着した住まいづくりのサポートを実現。


篠原 祥
(しのはら・やすし)
三休橋筋愛好会メンバー。船場・三休橋筋を中心に、まちを「歩いて」魅力を発掘し、知恵を絞って魅力アップの方法を「創り」、地元や市民へ「伝え」、自ら試しに「実行」してみる活動を行っている。


●事例報告1:宗宮恵司
花と音楽のまちづくり「あいより」
人が人を呼ぶ繋がりの場
区画整理事業で大規模な駐輪所をつくったにもかかわらず、駅前が放置自転車であふれていました。そこで町会や周辺に呼びかけてビラを配り出したのですが、このような活動をするなかで、住民の気持ちやソフトについてもっと考えていかないと、いくら駅前がきれいになってもまちは変わらないのではないかと感じるようになりました。そこで、昨年の6月から毎月話し合いの場を設けることになったのです。これが「あいより」です。

「あいより」は結論を求めない場、フリートークの場ですが、そんななかからいろいろなアイデアや情報がわき出てきます。たとえば鉄道唱歌の歌詞「咲くや菜種の放出の」というフレーズにちなんで、ふたたび放出を菜の花でいっぱいにしようというアイデアが出ました。この地域の人はフットワークが軽く、9月に菜種を植え、いま本当に素晴らしい花が咲いています。また、若い人たちにも参加してもらおうと、「放出音楽サロン」を企画しました。フルートとバイオリンのコンサートというのはまったく経験がなかったのですが、実際に動き始めると、演奏者も会場も、当初思いも寄らなかったところから名乗りがあがりました。これがきっかけで音楽好きの人や若者たちが集まってくるようになりました。その後は音楽だけでなく、さまざまな分野の可能性が語られる場となりました。

■交流会
S.Hさん:最初の一歩を踏み出す仕掛けづくりについて教えてください。

宗宮さん:放出では今、区画整理事業の活動がありますから比較的動き出しやすかったですが、大事なのは自分たちの出来ることは何か、どこを着地点に設定するかだと思います。「あいより」は交流の場と位置づけることで肩の力を抜いて話が出来ます。そこから活動を積み重ねていくことができました。

Tさん:放出では町会は機能していますか。

宗宮さん:2回目のはなてん音楽サロンは、老人会の「思い出サロン」と共催し町会の掲示板を使わせてもらいました。町会の活動はとても活発ですし競合するのではなく連携して新住民と旧住民を繋ぐ場として機能できればと思っています。

Aさん:「あいより」のフットワークの軽さに驚きました。この軽さは住民が誰でも参加できるということがキーになっていると感じました。
●事例報告2:西尾 純
アーティストの自立を支援するカフェ「salon de AManTO(天人)」
自分とまちと世界のニーズにあった活動を
私の本職は大道芸人です。日本人的な精神をパフォーマンスに取り入れたいと思い、昔ながらのコミュニティの残る中崎町でカフェをはじめました。私には大工の知識はなかったのですが、「空き家再生パフォーマンス」として改装を公開し、通りすがりの人にその人の得意なことを教わりながらカフェをつくっていきました。あるとき元大工の棟梁に「剥がした土壁は廃棄しなくても水で練ればまたひっつくよ」と教えられ、廃材を出さないゴミゼロ改装とすることにしました。
そのうち建築家や芸大の先生が見に来られるようになり訪問者も増え、2ヶ月半の改装の間にのべ1127人の人が手伝いにきてくれました。今ではこのときの習慣が引き継がれ、みんな自分の得意な分野で文化教室をしたりイベントをしたりすることで店が成り立っています。
いまカフェに来ている人たちに出演してもらって自主映画を制作しています。旧町民の方のいろんな商売をそのままロケーションにつかうことで、このまちの値打ちをアピールできればと思っています。地域でつくって世界に発信するんです。このように、自分のやりたいことと地域に必要なことと世界に必要とされていること、この3つを繋ぐことが活動を継続させる重要なポイントだと気付きました。ゆくゆくは世界中にこの下町ネットワークを広げていければなと画策しています。

■交流会
N.Kさん:地域の子どもたちと仲良くなる秘訣を教えてください。
西尾さん:私のお店では子どもたちはジュース1杯まで無料です。みんな宿題をしに来たりしています。子どもが集まるのは地域にそのニーズがあったからだと思います。子どもたちの居場所が分かるのでお母さんたちにも喜ばれています。また、地域のお祭りやラジオ体操のボランティアに参加することでも子どもたちと仲良くなれました。

S.Mさん:今後どのように発展していくと思いますか。
西尾さん:いまアーティストを目指す若者が集う場所になっています。場所代は労働で返していき、自分の好きなことを「なりわい」にできる空間を目指しています。一過性のイベントは知り合うきっかけにはなりますが、その後助け合っていく関係をつくるためには継続的な取り組みが必要です。

●事例報告3:菅 正太郎
こだわりの職人ネットワーク「あすの会」
みんながいいとこ取りできる場の提供
阿倍野・住吉には昭和初期以降に建てられた良質な住宅がたくさん残っています。いまだんだんと老朽化しつつあるのですが、それを支える職人さんたちが高齢化をむかえており、しかもバラバラに存在しています。そこでそうした職人さんたちをつなぐネットワークをつくりたいと考えこの会をつくりました。現在のメンバーは2、30人ほどですが、「住まいの110番」というメンバー紹介や活動紹介のチラシをつくったり、定例会を開いて情報交換をしながら進めています。定例会以外にも長屋話という講演会を企画しています。地域に残るいろいろな長屋について勉強していこうということで、大阪の長屋研究で有名な和田康由先生をお招きしてお話を聞きました。また、住意識を高めようということで町歩きや長屋調査なども行っています。その他、長屋を改修して介護相談センターにしたり、グループホームにしたりもしています。非常にいい長屋がマンションに建て替わるという話を聞き、オーナーさんに掛け合って改修にこぎつけたということもあります。決して、会として特別な活動をしようというのではなく、いろいろな職についている人々の情報の交換から始まって、日ごろ気づいたようなことから街に役立つことで、一人ではできにくいことを、協力してやっていければと考えています。特別なことではなく仕事や趣味の延長の範囲で簡単なことを実行していこうと考えています。

■交流会
Iさん:ホームページには蒸しパン屋さんも載っていますが、どうしてですか。

菅さん:あるとき、「あすの会は、こだわりのある職人集団だということなので入れてほしい」と言ってきました。工事現場などにも見学に来てもらっていますが、建築の専門外の人の意見は参考になることもあります。

K.Fさん:長屋を探そうと野田周辺をあたったことがあるのですが、扱っているところはほとんどありませんでした。野田では長屋を再生して活用してもメリットがないため、建て替えが進んでいます。

菅さん:阿倍野・住吉界隈でも同じです。しかし、長屋改修によって魅力が伝わったのか、周辺にも長屋の改修例が増えてきました。建て替えではない使い道もいいなということをまわりに知ってもらえたと思います。あすの会では長屋改修の相談にものりますが、すぐにアクションを起こされるオーナーは少ないですね。


●事例報告4:篠原 祥
ワーカーによるまちづくり「三休橋筋愛好会」
普段着のまちの魅力を再発見
この会のメンバーは船場で都市計画や建築関係の仕事をしているワーカーばかりです。7年前にある研究会がきかっけで知り合いました。最初の活動は、日本都市計画家協会が募集していた「日本の歩きたくなる道100選」への応募でした。その翌年、当時の都市基盤整備公団が船場を元気にするアイデアコンペを開催しており、初めて「三休橋筋愛好会」という名前を付けて応募しました。このコンペで賞をいただいたことや、会場に来ていた方々との交流が始まったことが、会を続けていくきっかけになりました。2003年の秋には、普段なら閑散としている土曜日の船場に1万人を集めるというイベント「船場GENKIまつり」の開催にかかわり、南北2kmの三休橋筋を500枚の写真に収め、20mの三休橋筋の連続立体写真をつくりました。2004年には、まちづくり組織「三休橋筋発展会」の立ち上げにも関わりました。また、「大阪ええはがき研究会」と一緒に、三休橋筋のまち全体をギャラリーとみたて20件ほどのお店に絵葉書の展示をさせてもらい、まちを歩いてもらうきっかけにしていこうというイベントを開催しました。これまでいろんな方々と出会いながら7年間続けてきましたが、三休橋筋というまちの名前がこの数年間でだんだんメジャーになりつつあるのかなと感じています。

■交流会
Nさん:築港でアートギャラリー、カフェ、レンタサイクルをしています。まちが好きな人と連携し合って活動していますが、住民を巻き込めていません。

Hさん:八尾のミュージカルでも地元の人に参加してもらったら観客が1000人くらい増えたそうです。地元を巻き込むと動員力が飛躍的に伸びますね。

K.Yさん:活動が7年間も続いていることに関心しています。なぜそんなことが可能だったと思いますか。

篠原さん:住民のいないエリアでまちに責任を持てるのは企業だけだという思いがありました。メンバーがみな建築関係者で仕事の方向性ともフィットしていたこともあり、小さなことを積み重ねながら続けていくことができました。また、活動を発信していくことはとても大切だと感じています。今回のようなイベントをきっかけに連携の輪が広がればいいですね。