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10周年記念シンポジウム~総括講演~

投稿日 2009年11月23日(月)
更新日 2009年11月23日(月)

総括講演「これからの住まい・まちづくりを支える住情報提供とは」
                             高田光雄(京都大学大学院教授)

 
高田:皆さん、大変お疲れ様でした。現場で10年間苦労されてきた方々のお話を聞かせていただいて、私が総括する必要など全くないように思います。先ほど弘本さんがまとめて頂いた通りです。冒頭に住情報整備の3段階といいましたけれども、既にセンターは3段階目まできて、さらに、スパイラルアップしていることが確認できたように思います。
賢い消費者になるためには日ごろから勉強することが大事だというのは当然のことですが、個人が勉強するだけでなく、このセンターが拠点となって、様々な人と人とのネットワークが生まれていることもわかりました。これからの住まい・まちづくりの領域では、このネットワークが大きな力になっていくのではないでしょうか。コミュニケーションの場、ネットワークの拠点としてのセンターの役割を再確認したいと思います。
またミュージアムのボランティアと同じように、ライブラリー・ボランティアの方々が非常に活発に活動していただいているということも、この10年間の大きな成果だったと思います。
 
■自ら住まいやまちに働きかける「住み手」を育てる場として
実は、先ほど冒頭でお話しをしましたことの続きがございまして、そのことだけを最後にお話しさせていただきたいと思います。
総括というよりも、さらにこれからの10年に向けて、私が期待したいことです。実は、10年前のオープニングの時に、私は、今の3段階の話と、もうひとつ別の話をしております。
「都市に住まう」というお題をいただき、「都市に住まう」ことと「住情報」とはどういう関係にあるのかというお話しをさせていただきました。その時、都市に住まうということに関連して、最終的にわれわれは何のために情報を得ているのかということについて考え、「住みごたえ」という概念を提起しています。
家に住むだけではなく、都市に住むというのはどういう意味があるのか。通勤に便利だ、買い物に便利だということは当然ですが、それだけでない。都市は、実は歴史的・文化的な資源の集積地なのです。そういうことを十分に認識して都市に住むと、都市居住が利便性とは別の価値を持ってくる。それからまた、様々な人が様々な活動をしているというのも都市の大きな特性です。多様なコミュニティへの参加可能性も都市居住の魅力ではないかということを考えたわけです。
そのための住まい・まちづくり情報というふうに考えることができないか。ただ必要を満たすということだけで住まいの情報を考えるのはもったいない。住まい、あるいはまちでの生活というものは、もっと価値があって楽しいものではないでしょうか。
大阪を中心に考えれば、大阪の都心にはたくさんの歴史的・文化的資源があります。それからまた、様々な活動があるわけです。こういうものに、どこまで接近できるのかということが、都心の住まい・まちづくりを考えるうえでは非常に重要です。
こういうことを通じて得られる都市居住の価値というのは、住まいやまちから、住まい手が一方的にメリットを得るというものではない。一方的に受ける価値は、たぶんどこかで満足の限界がきます。一方、住まい手自身が、住まい自体やまちの資源に働きかけて、新たな価値を発見するという満足感があります。先ほどのパネルディスカッションの中でも、人々が主体的に活動することが重要だという話が出ましたが、まさに住まいやまちと直接関わっていくという中に、居住の価値、住まいの価値というものが出てくるんだと思います。
住みごこち、つまり性能の良い住宅を得ることができれば、人は幸せになるんだという考え方ではなく、住まいやまちに人々が関わって新しい価値を発見していくことに真の豊かさがあるという考え方です。私は、こうした価値を「住みごこち」に対して「住みごたえ」と呼んできました。「住みごたえ」を育むことが、住情報提供の究極の目的ではないだろうか。そういうことを10年前に申し上げました。今日のみなさんのお話をお聞きして、この仮説が誤りではなかったことを確信しました。というより、相当の手ごたえを感じました。
 
■住まい情報センターを「住み継ぐ」住まい・まちづくりの拠点に
これからさらに10年先に向けて、「住みごたえ」に加えて、住まい・まちづくりに関するキーワードをもうひとつ付け加えさせていただきたいと思います。
それは「住み継ぐ」というキーワードです。これは、直接的には、建てては壊し、壊しては建てるというスクラップ・アンド・ビルドから脱し、既存の住宅を相続したり、購入したりして住んでいく、あるいは借家を住み替えながら住んでいこうということです。しかし、私がいいたいのは、単に都市の中にある既存の住宅に住むことだけではなく、それらをうまく住み継ぎながら、価値ある住まいや暮らしを実現するということにあります。「住み継ぐ」という住まい方について、もっとわれわれは知恵を絞ることができるし、また、いろんな取り組みができるのではないかという問題提起なのです。
大阪には実はすでに長い住み継ぎの歴史があります。家を住み継ぐということは、急に今出てきたわけではないのです。しかし、とりわけ第二次世界大戦後、家を住み継ぐという感覚が失われ、また、そういう発想で家が建てられなくなってしまいました。住み継ぐという住まい方を、もう一度、現代的に再生させて、都市居住をより価値あるものにしていくことを考えてはどうか、と思ってる次第です。
家を住み継ぐというということは、まちを住み継ぐことにもなるように思います。すでにある家やまちをどのように住み継いでいくのが良いのか、そしてわれわれ一人一人にとって価値ある居住というものを、どうすればそこから獲得するということができるのかということを、もう少し深く考えたいと思います。
例えば、こういう問題があります。住まい手Aさんがある住まいに住んでいて、そこで住みごたえがある良い状態が実現しているとします。次に、その住まいにAさんとは価値観の異なるBさんが住む。普通はAさんが満足できるものでも、Bさんが満足することはなかなかないわけです。これでは、積極的な意味での住み継ぎは実現しない。
住み継ぎの議論では、自己の価値だけではなくて、他者の価値を考えることが重要です。また、自己と他者の価値の関係を考えていくということが、これからの住まいづくりやまちづくりでは非常に重要になっていくと思います。異なる価値観の人が住んでも連続的に住みごたえが実現できれば、ストックをうまく活用して、居住の質も高めていくことができるはずです。
そのためには、大阪の「裸貸し」の伝統などをふまえて、住み継ぎを前提とした住まいをつくり、住まいやまちの保全や再生、あるいはリフォームといったストックに対する様々な活動をもっと活発にしていかないといけない。また、こうした活動と連動した住宅の流通の仕組みをつくっていかなければいけないと思います。その仕組みもいろんなところで試みられてはいるんですが、住情報という観点からみると情報が十分に行き渡っていない、知るべき人のところに情報がいっていないということがあるために、なかなかこういう仕組みがうまく機能しないというのが実情ではないかと思います。
ストック時代の住まい・まちづくりを考えた場合に、住情報提供を一層進化させて、住み継ぐという住まい方をもっと深めていくことが重要です。当然のことながらこれは、景観や環境に配慮した住まい・まちづくりを実現する、非常に重要な手段でもあります。これからの10年、こうした取り組みを、住まい情報センターが拠点となり、住まい手と専門家が一緒になって実践していくということができれば、という期待を持っています。
「住み継ぐ」をキーワードに、これからの展望をお話し、本日の締めくくりとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。