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住まいのまちづくりの心意気Part1 「育て!地域への愛着、まちの風格」

投稿日 2009年2月11日(水)
更新日 2009年2月11日(水)

※この催しは、平成20年度タイアップ事業の交流会の一環ですが、広く市民に対して参加をよびかけました。高橋寛治高野町副町長などまちづくりの達人の講演と交流会を実施しました。
 
日時 : 2009年2月11日 13時30分~16時30分
場所 : 住まい情報センター5階研修室
講演 : 1.基調講演 高橋 寛治(和歌山県高野町副町長)→議事録
             2.事例紹介
               ①おおさか自転車マップづくりの会 笹井 浩(幹事)
               ②長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合 松富 謙一(理事)

      3.フリーディスカッション→議事録
       パネラー:
         高橋 寛治(和歌山県高野町副町長)
         笹井 浩(おおさか自転車マップづくりの会幹事)
         松富 謙一(長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合理事)
            
       司会進行、及びフリーディスカッション・コーディネーター:
          川幡 祐子(大阪市立住まい情報センター)


フリーディスカッションの様子


会場の様子
(さまざまな質問が出て、会場とパネラーによる活発な意見交換がなされました!)


-----1.基調講演と2.事例報告の概要は、下記↓をご覧ください-----

1.基調講演「育て!地域への愛着、まちの風格」/高橋寛治(和歌山県高野町副町長)

<講師プロフィール>

   長野県飯田市役所まちづくり推進室長、産業経済部長などを経て、平成16年10月より高野町副町長。住民との協働により、「飯田方式」と呼ばれる居住を中心にすえた潤いあるまちづくり(再開発事業)を企画し、全国から脚光を浴びる。そのほか、観光ビジネスとは一線を画した学生向け体験教育旅行を全国に先駆けて実施し、市民のコミュニティビジネスとして成長させた立役者でもある。趣味は、全国の先進的なまちづくりの地を訪ねること。柳田国男の研究者でもある。主な著書に、「飯田市における人材育成」(共著 ぎょうせい)、「まちづくりと町格」(共著 自治大学校)など。

今回は「都市の再開発」について、住民が主体に考えること。「都市と農村の交流」では交流館を作らないこと、この二つの事業についてご案内します。これらの中で通常とは違った道筋を歩むことによって、飯田市にどのようなことが生まれ、今日の本題である“住む”とか“まちづくり”などと、どのように係わってきたか。事業の一番大切な初動期の部分に絞り込んでご紹介をします。

飯田方式による中心市街地の再生
 まず、再開発というのは、基本的に共同建て替えを行えば、共同施設に対して国からの補助金がいただける仕組みです。今の法の仕組みでは、個人の家に対しては補助が出ないことに対して、再開発として事業の意味合いに公共性をもたせることで、20~30%の補助金がいただけるようになります。
しかし日本各地で行われている都市開発の仕組みは、一般的にゼネコンやデベロッパーなどが請け負って実施をしています。この時に飯田方式による再開発の基本は、外からの資本を入れない、住民と市役所の職員が知恵を出し合い、再開発を連鎖する仕組みを新たにつくりました。

●再開発を連鎖させるには、地元に技術とお金を貯める仕組みをつくる
 いくら再開発で大きなビルを建てたとしても、地域で生活をする人が中心になって取り組むことは当たり前です。今全国で行なわれているようなゼネコンに丸投げをし、市役所の職員は国へ補助金を申請することが仕事であると思っていることに対して、それが「おかしい」ということに気がつきました。ゼネコンやデベロッパーが入ってくれば、どのような仕組みで再開発をし、床をどのように売るのかという技術や開発利益が全て東京へ行ってしまうわけです。常に地元に技術とお金を貯めることを意識した結果、「ゼネコンとデベロッパーを入れない」再開発を続けようと考えたわけです。

●普遍性があって、それがエゴでなければ、法律をどのように変えるか挑戦してみる!
 都市再開発法という法律に基づき、街区の整備計画を行うと、いろいろな問題が出てきました。もともと飯田市は城下町で商家が立ち並ぶ風情ある町でした。しかし昭和22年に大火があり、中心市街地の60haが焼けてしまったのです。その後に幅の広い道路をつくり、社会基盤は整備されました。
その中心部には長さ400m、幅30mのりんご並木(昭和28年に整備された道路)があります。この整備には2年間に亘って、200人の市民が同じテーブルに集まり、みなが合意をしながら道路計画を作るワークショップを行いました。その結果、「公園のような整備を実施し、道路を単断面にしよう」と住民の皆さんからの要望が上がってきました。その計画は法律に当てはまらないので、「新しい運用を引き出しプランを実現しようではないか」という思いが道路の公園化につながったのです。このような法の運用の経験は、再開発のときでも住民からの要望がエゴでなく不偏性があれば、「法律をどのようにしたら変えられるのか」ということに挑戦する。それが公務員の仕事であと思うようになりました。

◆りんご並木道について:http://www.city.iida.lg.jp/iidasypher/www/info/detail.jsp?id=1266

●人が住み続けるまちづくりには、道路にヒエラルキーの政策を!商店街は地元資本で!
 “モータリゼーションにさらされたら都市は死滅する”ということが都市政策の基本です。車に合わせる生活ではなく、道路にヒエラルキー(階層)を設け、遠距離用、近距離用、歩行者専用などに道路計画を指定しました。さらに、再開発の商業床には地元資本の店を入れることとしたのです。再開発ビルの一階部分は商業床にしたのですが、ビルのような坪単価の高いところではナショナルチェーンは出店することはありません。しかし再開発組合の考え方は、「地元の商店は地元が守るべき」だからと、飯田資本の生鮮三品のお店に入っていただきました。地元資本は最終的に店がつぶれない限りここから出るわけにはいかないし、一方では住民も地元で買わないと地域経済がまわっていかない。つまり、一人一人の消費行動そのものが地域の将来を担っているのです。「安い方がいい」とみなが言ってしまうところに地域の課題があり、そこに手をつけない限り、地方の再生はあり得ないのです。

●再開発は市民が開発する、そのための公務員の姿勢
 日本の各都市を見ると、インフラが整備できたものの中心市街地はだめになっています。そこで飯田市が提案したのは社会サービスの再開発です。もう一度都市づくりの原点に戻って、医療・教育・福祉などを市街地に再生することによって、人が町に住むようになれば、結果として商業は戻ってくるのではないか、都市の本質である多様性を取り戻すことで、住みやすいまちを創ろうと考えました。
そこで飯田の取り組みでは、市民で再開発を支える銀行(市民フアンド)を作ろう。区域内に建つ蔵は残そう。そして生活の場を再生しようと考えました。つまり市役所が主体で再開発するのではなく、市民の力で再開発するのです。また、公務員は住民とのトラブルに対して、法律が悪い、国が悪いといって逃げていたわけです。そこに問題があります。そして、「再開発が中心市街地を再生する王道」であるならば、取り組んでみるべき価値があるのではないかと考えました。つまり公務員として与えられた基本は法の本旨を見つめることです。都市計画法であれば法を表から読むと「こうしてはだめです」とたくさん書いてあります。しかしこの都市計画法の原点は「生き生きと生活する場を協働して創る」ということですから、そこに戻ってみよう。そのうえ職務に取り組む姿勢には高い理念を掲げ、そのハードルを越える。越えれなくとも、近づく努力を続けることだと思っています。


●はじまりはいつも勉強会、住民がつくる飯田のまちづくり会社の設立へ
 このような事業の始まりはいつも勉強会でした。再開発でも1年目の勉強会の結論は「苦しいときにはニューディール」でした。要するに、アメリカのニューディール政策の本質「公共投資を先行させながら、その力で民間の活力を再生しよう」とする思想です。つまり、飯田市の場合、単に商店街が苦しいだけではなく、街全体が衰退していますから「公共投資を先行させ、民間フローがまちの中へ投資されるような仕組みをつくろう」という結論になりました。2年目は再開発の具体的な命題として、みなが郊外へ住むまちに住まないことが問題の根底なのだから「住む」。町の中心部まで車が入ってくる交通に対して道路へヒエラルキーを作る。街の中での建て替えの方法として共同建て替えを推進する。そして再開発の技術とお金は自分たちが担保しながら、連続して投資をする。すべての事業が情報力を持つようにする。これらの「飯田方式」が結実して、中心市街地をマネージメントする飯田のまちづくり会社「飯田まちづくりカンパニー(1998年7月27日設立)」の理念となりました。

 

 



「飯田方式」による都市と農村の交流

第一回の都市と農村の交流、「オーライ・ニッポン!」で内閣総理大臣賞を飯田市が受けました。ここでは、二つの事例をベースに、この取り組みから生まれてきた価値観についてお話がありました。

●その日の農家の仕事を学ぶことに意味を見出す、“体験教育旅行”
 はじめに実施したのは飯田市が企画した“体験教育旅行”へ修学旅行を誘致しました。この旅は、その日に農家が行っている農作業の現場で、その体験を行う交流です。農家が修学旅行のために何か特別なことを行うのではなく、「その日」「その時」「その農家」が行っている作業を、都市から訪れた中学生に取り組んでいただく、それが本物体験としての「旅の本質」にあるのです。
一方、先生に農業を理解していただくための学校として、南信州アグリ大学院(年間受講費:年20万円程度)を開き、農山村の活用を普及しました。さらに、ワーキングホリデーを開始。これは援農のことで、旅費と労力は自分で持ち農作業を助けに行く助っ人です。受け入れる農家は食事と泊まる場所を提供する代わりに、朝から夜まで、時期によっては夜中まで農作業を手伝います。このような農業の現場を交流の現場に組みあわせることで「総合的なむらづくり」になっていきました。

●旅行会社でできない「旅」を地元で提供する“南信州観光公社”
例えばJTBが400人の中学生を飯田へ送客してくるとします。ところが飯田には体験館のような受け入れ施設はありません。全てを農家で受け入れますから、一軒に4人で割り振っても100戸の農家が必要となるわけです。その時、飯田市が持っている200の体験メニューと100戸の受け入れ農家の手配は、都市の旅行業者ではできません。そこで日本で初めて、観光客を地元へ受け入れる専門の旅行会社として“南信州観光公社”を設立しました。この意味はたくさんのメニューに対応するために「受け専門の旅行会社」を作り、外から来た皆様に地元の会社が手配などを全て行うことです。
本来の農業体験とは、「その日」「その場」で行なわれていることが本物の観光であり、そのように考えた瞬間に、あらゆる身の回りの農作業が体験のメニューになります。農業の中へ新しい子どもとの交流を加えて、「誇りの持てるような農業」を広げようと思って、続けてきました。


<再開発の組合員が「まちづくり」の意思固めをする上で提案した、組織内部の申し合わせ事項>

一、常に、自分たちの頭や常識で判断出来ることを基本とする。(その意味=誰からにやらされたのではなく、自分たちが理解できなかったら「まちづくり」とは言えない。)
一、私たちは協働で物事を行うという考え方を大切にし、「市には助けてもらうけど、最後は自分たちで決めよう」と考えます。(その意味=意思決定は自らが行う)
一、「資産の価値を高めて、次世代に渡したい」と考えます。「みんなのことを考えて、自分だけ得をしようとは考えません」。(その意味=つまり得をしようとか、お金がいくらになるとか、ここで権利がいくらになるという話が表に出た瞬間に、再開発はお金の問題になってしまう。自分たちの資産を将来に向かって投資をするのだということが確認される)

 最後に、これらの事業から学んだことですが、どのようなことを考え、どのような「政策」を続けるかによって、町は全く違った形になってくるのです。そして「地域が自立する」ということは、自分で立つために時間が少々かかります。なおかつ、今まで行ってきたことの延長線には未来がないことも明らかです。これらを心得ながら現場へ臨むことが「まちづくり」ではないかと思っています。

 

 





2.事例報告

“おおさか自転車マップづくりの会”と“長屋すとっくばんくねっとわーく”からそれぞれ事例報告がありました。

(1)「おおさか自転車マップづくりの会」(報告者:笹井 浩)

 おおさか自転車マップづくりの会は2004年3月発足。大阪市立総合生涯学習センター内のネットワークラボを活動拠点とする任意グループ。毎月1回定例会実施。年会費3,000円で、会員数は大体10~12名。

自転車マップづくりや発表会、ネット発信やマップの販売などでマップの普及活動を実施。自転車の楽しみとまちのよさを発見するような自転車ツアー、などで自転車利用者の視点に立った環境づくりのための要望や提案を収集し形にしています。

2006年7月に大阪市北エリア版(南北:淀川~中之島、東西:阪神野田~大川)、2007年9月に大阪市中央エリア版(南北:中之島~難波、東西:京セラドーム~難波宮跡)を発行、中央エリア版は販売中(300円)です。現在、大阪市南エリア版(南北:道頓堀~阿倍野、東西:京セラドーム~鶴橋)を作成中です。また、ワークショップやツアーを開催しますし、ホームページで会員も募っていますので、興味のある方はどうぞご参加ください。


ホームページ:http://www.occn.zaq.ne.jp/cycle-map/





(2)「長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合」(報告者:松富 謙一)

   からほり倶楽部は、2001年に7人のメンバーで発足。谷町6丁目、空堀の長屋や路地や商店街の魅力をなんとかうたっていこうじゃないかと、長屋すとっくばんくねっとわーく活動を進めています。
当時、空堀の人たちは古い長屋をそんなによくは思っておらず、古いゆえに使いものにならない、大抵の長屋は古くて汚いものだという扱いの中で放ったらかしにされていた。その長屋を再生し、地域の活動につなげていこうということを9年続けています。2001年10月にスタートさせた「からほりまちアート」は、路地や階段、長屋の壁面を使いアーティストの絵を飾ったり、見学会をしたり、建物の魅力を再認識できます。去年は1万人ぐらいの来街者があり、地域の内外を問わず、たくさん来ていただくようになりました。また、建築や不動産など専門的な職種をもつメンバーで、長屋を改修した「萌、錬、惣」という複合施設をつくる活動をおこなうなど、「長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合」として法人化していきました。このような活動を通じ、まちの魅力や地域の活性化につなげていければと地域で取り組んでいます。


ホームページ:http://www.karahori-nagaya.net/


◆タイアップ講演会&交流会チラシ表

◆タイアップ講演会&交流会チラシ裏


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