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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

「こだわらず、こだわらず」角 淳一(フリーアナウンサー)

 私の家の周りの景色が随分変わった。地の人(昔から住んでいる人)が少なくなり新しい人が増えた。そのスピードは早くなった。当主(男性)が死亡し近くの親戚も転居していった。知り合いが少なくなり村の情報も入らなくなった。葬儀も会館でするので気が付かない場合もある。すぐ近くの主治医の死亡もわからなかった。そしてその病院もなくなった。

 私は戦争で父を亡くし、親戚の伯父一家の世話を受けながら母親に育てられた。母は子どもを育て角家を守るという使命を持って、三洋電機で働き、92歳まで生きた。私はその母親の心を受け継いでいると思っていたが、子どもへの財産の受け継ぎに関してはクールである。

 後期高齢者になり私は終活に入った。子どもたちは(孫までも)大きな家は要らないと言う。私が母から受け継いだ家を引き継ぐ気はないらしい。そう言えば高度経済成長が終わり、人口は減り、昭和の活気はなくなった。若者は小さな幸せを求め趣味に生きる。出来るだけ趣味の合う気の合う人と摩擦の少ない生活を楽しみたい。多様化した生活、家。メディアも変わった。今までのマスメディアはもうマスではなくなった。個人が思い思いの気分でインターネットやスマホで発信する。理由は分かる。誰にも邪魔されず自己表現したい。これは人間の本質だから。

 いつ大地震が来るかもしれないという不安の中で、住む家を考え、老後を考え、歩むべき自分の人生を考える。人それぞれに。人それぞれが自由に暮らす。素晴らしいことだが大変難しい。将来私たちの周りに外国の人がもっと増え、隣近所の様子は激変するかもしれない。去年その理想形を見た。ラグビーワールドカップだ。日本代表の様々な人たちだ。夢のような一瞬だった。我々の日常生活の中にあのようなマトマリと個性発揮は作り出せるのか?

 終活を考え、子どもたちの将来を案じながら自分の周りの変化に戸惑っている。でも「その時はその時」「こだわらず、こだわらず」が正解かも。

 

写真の山車(だんじり)は2013年に私の村で復活しました。どう引き継がれるのか?