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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

堂本印象『いの字絵本 恋の都大阪の巻』

 コマ絵をご存じでしょうか。明治の半ばから新聞や雑誌などに掲載されるようになった本文とは直接関係のない絵を指します。明治38年、竹久夢二が投稿雑誌にコマ絵を投稿して活躍したことが契機となり、懸賞付きのコマ絵投稿が画学生の間で流行をみせ、東京美術学校西洋画科の山田実、そして京都市立美術工芸学校(美工)図案科に在学していた堂本三之助(後の日本画家・堂本印象)らが、その常連として上位入賞を競い合いました。

 

 京都出身の堂本印象(1891~1975年)は、明治43年、美工を卒業すると、大阪で図案家として働きながら、画家活動を行うようになります。大正元年10月20日発行の『いの字絵本 恋の都大阪の巻』(以下『いの字絵本』)【図1〜11】は、20歳の印象が手掛けた画集で、得意のコマ絵による五十余りの大阪の女性図とともに、自作の詩や短歌を収録しています。

 

【図1】堂本印象『いの字絵本 恋の都大阪の巻』
大正元年、京都府立堂本印象美術館蔵

 

 なお「いの字」とは、大阪時代に使用していた雅号で、すでに使っていた「印象」の頭文字「い」の一字をとって「いの字」としたようです。

 『いの字絵本』出版にも竹久夢二の影響があります。夢二が明治42年に出版したコマ絵の画集『夢二画集 春の巻』は、若い世代に人気を博し、翌年、シリーズ化されました。このコマ絵画集の流行に乗って、美工先輩で洋画家の渡辺与平の『ヨヘイ画集』(明治43年)や、大阪の宇崎純一の『スミカズ画集 妹の巻』(明治44年)などが相次いで出版されたのです。

 

【図2】《化粧せし女》

 

 『いの字絵本』を詳しく見ていきましょう。

 

 「心中の都、美しい心中の都‥」で始まる、大阪で心中した姉の記憶を持ち、自身も大阪の人となった京女の回想の形で絵本は幕を開けます。

その後、芝居に熱をあげる若い女性【図3】たちが登場します。彼女たちのお目当ては人気役者でしょうか。

 

【図3】《芝居茶屋まで》

 

 《人形の家の愛読者》【図4】とは、女性の自立をテーマにした戯曲本『人形の家』のことで、当時の日本女性に大きな影響を与えました。それを伏線とするならば、《中座の客》【図5】は、芝居小屋の道頓堀中座で上演された「人形の家」(明治45年3月)の観客かもしれません。二人とも知的な雰囲気を漂わせており、恋する若い女性との対比が巧みに描き分けられています。

 

【図4】《人形の家の愛読者》
【図5】《中座の客》

 

 大都市、大阪の呉服店(百貨店)で働く女性店員【図6】は、女性の自立の象徴です。一方で、大丸呉服店で買い物をする上流夫人【図7】も描いています。

 

【図6】《女店員》
【図7】《大丸で見たひと》

 

 夕陽丘、清水谷、梅花などの女学校を題材にした女性【図8~10】について、『いの字絵本』を高く評価する大阪の書誌学者・肥田晧三氏が「大阪の代表的な女学校の名前で、当時はその名を耳にするだけでも、大阪の人間には特別のヒビキで訴えかけてくる新鮮な魅力があった」(「大阪の名著発掘」(『なにわ町人学者伝』所収、潮出版社、1983年))と語っています。

 

【図8】《夕陽丘スタイル》
【図9】《清水谷を出でて三とせのはる》
【図10】《梅花のひと》

 

 終盤は、芸事に打ち込む女性たち。当時のアイドル的存在の娘義太夫【図11】は、そのもととなったスケッチがあります【図12】。

 

【図11】《定席にて》
【図12】堂本印象《団廣の印象》
明治44年、京都府立堂本印象美術館蔵

 

 このように、大阪の女性たちが個性豊かに溌溂と描写され、見るものを飽きさせません。

 最後は、「心中天網島」の小春と治兵衛の心中事件を噂する当世風の三人の女性たちの会話文で幕を閉じるように、『いの字絵本』は単なる大阪の女性図を羅列したコマ絵画集ではなく、「心中」・「恋」をキーワードに物語的な意図を持って構成されています。近松門左衛門の心中物の恋愛模様を、まさに明治末~大正初期の感覚に引き寄せつつ、しかも若者らしい視点で大阪の流行を的確に描写しているところに『いの字絵本』の魅力があるといえるでしょう。

 この頃の印象は、学生気分が抜けず、時流に乗った画家活動を模索していましたが、『いの字絵本』出版を境に、画家として生きることを決意し、図案家の仕事の傍ら、本格的に画家修業に励みます。当時の印象を知る日本画家の友人は、印象の苦労は他の画家とは到底比較にならないとし、印象こそ「立志伝中の人」と評価しています。

 大正7年、26歳の印象は日本画家養成学校である京都市立絵画専門学校に入学し、翌年より帝展作家となり、日本画家として歩みはじめるのです。

 堂本印象というと、仏画や戦後の抽象画などのイメージを持たれる方が多いと思いますが、『いの字絵本』は、印象の画家としての原点となる重要な作例なのです。

 


シンポジウム 「堂本印象 『いの字絵本 恋の都大阪の巻』 とは何か

  ―青年画家の心をとらえた大阪のまちと女性―」

 2026年2月1日(日)13:30~15:30(開場13:00~)

 大阪市立住まい情報センター3階ホール

 定員:150名(無料・要申込)

 主催:堂本印象と大阪研究会、京都府立堂本印象美術館、京都新聞

 共催:大阪くらしの今昔館

 助成:公益財団法人 芳泉文化財団

 お問い合わせ:075-463-0007(京都府立堂本印象美術館)

                      申し込み(美術館HP内)はこちらから → https://insho-domoto.com/news/2588/

 ★申込開始日:2025年12月12日(金)10:00~

 

京都府立堂本印象美術館 主任学芸員・堂本印象と大阪研究会

松尾 敦子