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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

天神祭1921――疫病退散を祈る都市祭礼谷 直樹(大阪くらしの今昔館)

大阪くらしの今昔館の近代展示室「天神祭1921ー水都の祝祭」御迎人形船(鎮西八郎・手前)と獅子舞講(天神講・奥)

 

 天神祭は疫病退散(えきびょうたいさん)を願う祭礼で、七月二十四日に宵宮、二十五日に本宮を迎える。本宮では、菅原道真をお祀りした御鳳輦(ごほうれん)を中心とした渡御の行列が氏地を巡り(陸渡御(りくとぎょ))、若松町で船に乗り込んで大川を遡り、毛馬辺りで反転して川を下り(船渡御(ふなとぎょ))、若松町で再び陸路を取って天満宮に還御(かんぎょ)する。現在のように大川を遡る船渡御は昭和二十八年(一九五三)以降の姿で、それ以前は堂島川を川口の御旅所まで下り、そこで神事を執り行った後、再び堂島川を遡って天満宮に還御するコースであった。

 この天神祭のジオラマ展示は、大正十年(一九二一)に描かれた絵巻物「夏祭陸渡列図」と「夏祭舩渡御図」(大阪天満宮蔵)をもとに、当時の陸渡御・船渡御の様子を再現したものである。当時の船渡御は堂島川を下り、川口の御旅所に向かうコースである。先頭のどんどこ船に続いて、蒸気船に曳航された催太鼓(もよおしたいこ)(太鼓中(たいこなか))、御神酒講(おみきこう)、獅子舞講(ししまいこう)(天神講)などが続いている。周辺を並走している御迎人形船は、幕末以来途絶えていて、大正八年に復活したばかりである。祭りに参加した人々の多くは伝統的な祭礼装束であるが、和装にカンカン帽、洋装にシルクハットという服装もある。

 模型の背後には、堂島川右岸(北岸)の様子を立版古で表現している。そこには、氏地の町を進む陸渡御の列がある。御鳳輦、御錦蓋(おきんがい)、御菅蓋(おかんがい)、鳳神輿(おおとりみこし)、玉神輿(たまみこし)などの渡御列である。背後には、伝統的な町家が軒を連ねる中に、大正五年竣工の大阪控訴院が姿を表している。大正十年の天神祭船渡御は、大阪が近代都市に脱皮するさなかに執行された。この模型では、伝統の中にも近代化が着実に進んでいる祭りの風俗や都市景観にご注目いただきたい。

 ところで、絵巻が描かれた大正十年は、三年前から猛威を振るっていた「一九一八年パンデミック」(スペイン風邪)がようやく終息した年である。それから一〇〇年、新型コロナウイルス禍中の今年の天神祭は、大阪天満宮で神職のみによる神事が行われ、陸渡御・船渡御などの諸行事は感染拡大防止のため中止になった。疫病退散を願った先人たちの心に思いを巡らせながら、今昔館の展示をご覧いただければ幸いである。