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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

借家文化再生への期待

 

京都美術工芸大学教授

京都大学名誉教授

髙田光雄さん

 

 

 

 厚生省生活局による昭和16(1941)年の『大都市住宅調査』などによると、第二次世界大戦前の大阪では、木造2階建ての長屋に代表される借家が全住宅数の8割以上、あるいは、9割前後までを占めていた。このような借家中心の住宅テニュア(所有形態)の状況は、実は江戸時代の終わりくらいからそれほど変わってはいなかった。ちなみに、昭和17(1942)年の大阪市社会部による『本市に於ける貸家の状況』では、貸家の約3分の1が江戸時代から続く長屋のスケルトン貸しを意味する「裸貸し」で供給されていたこともわかっている。

 

 借家中心時代の持ち家層は、多数の借家を所有、管理する大家さんを含み、共同して地域のマネジメントを担当していた。江戸時代においては、都市の居住地は、通りの両側の家を束ねた「町」を単位として、「町式目」などと呼ばれるルールに従って共同管理されていた。明治以降、自治組織としての町の役割は府や市に移管されたが、日常管理としての地域マネジメントの仕組みはそれなりに継承されていた。

 

 一方、借家層は、平均すれば数年という短期間で自らのニーズにあった借家を住み替えて生活し、新たな流入層が都市に活気をもたらしていた。その中で、生活の一部を共同化した長屋のくらしは、一定の合理性を備えた都市コミュニティを育んできたと言える。

 

 第二次世界大戦による借家の大量滅失、戦後の地代家賃等政令の継続、財産税の賦課などは健全な貸家経営を妨げ、持ち家率の急速な増加を招き、借家層の都市内での自由な住み替えも困難にした。また、持ち家層による地域マネジメントの仕組みは崩壊し、「いえ」と「まち」の関係は希薄化していった。さらに、プライバシーの重視や設備の専用化などによって、生活の一部を共同化した都市コミュニティも解体していった。かつては相互補完的関係にあった住宅供給に関わる経済活動と都市の生活文化は、戦後はむしろ対立的関係に向かっていったとも言える。

 

 ただ、都心居住回帰が進行する近年の大阪市の賃貸住宅では、こうしたトレンドとは明らかに異なる新たな現象が現れてきているように見える。例えば、第38回大阪市ハウジングデザイン賞を受賞した「LIB MARK minamihorie」などでは、賃貸住宅経営者による既存集合住宅の大規模リノベーションが実施され、新たな都市型ライフスタイルを求める住まい手を集めている。住宅供給に関わる新たな経済活動と都市の生活文化の創出が相互補完的に動き始めているのである。

 

 「LIB MARK minamihorie」は、大阪市西区で約20年前に建設されたワンルームマンションを、地域ニーズの変化に合わせて順次2戸1化し、子育て期世帯を含む様々な家族が居住する賃貸集合住宅に改修したものである。内装は、無垢のナラ材の床と白のペーパークロスで統一され、間取りは、回遊できる動線計画と可動式間仕切りにより、生活ニーズに合わせた自由な設えが実現可能となっている。nLDKに洗脳されて何十年も発展が見られない陳腐な分譲マンションや特定の個性を主張したデザイナーズマンションの住戸に比べて、住まい手の自由を最大限尊重したおしゃれな都市型住宅に仕上げられている。決して広いとは言えないエレベーターホールも、住まい手同士が都市的コミュニケーションを交わす場としては、使い勝手がいい適度な空間に生まれ変わったと言える。

 

 リノベーションにあたっては、入居者に丁寧に説明し、彼らの多大な協力も得ながら工事を実施したと聞く。賃貸住宅の大家さんと住まい手との関係構築は、大家さんと周辺地域との関係構築と共に、現代賃貸住宅に求められる重要な課題である。

 

 今後、こうした新しい動きを導いている大阪の大家さんに期待する事柄は、大家さんによる地域のまちづくりやまちづくり参加の推進である。住まい手は「いえ」だけではなく「まち」に住んでいる。魅力的な「まち」を作り、また、「まち」の魅力をより強く発信することが、クリエイティブな住まい手を集め、安定した賃貸住宅経営を支え、さらに魅力的な「まち」を育てることにつながる。こうしたまちづくりの積み重ねの中で、大阪の借家文化の再生を期待したい。