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こだわりの逸品 ―處士観瀑蒔絵料紙文庫―
金沢に生まれ、大阪を拠点に国内外の博覧会・展覧会で活躍した漆芸家・島野三秋(しまのさんしゅう)(1877~1965)による絢爛(けんらん)豪華な料紙箱(りょうしばこ)の作品。料紙箱は、書物や手紙を書く際に用いる装飾された紙(料紙)を入れて保管するための箱で、調度品として文台(ぶんだい)や硯箱と一具で作られることもよくありました。木製漆塗りの本作の外面には、蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)、彩漆(さいしつ)、象牙象嵌(ぞうげぞうがん)といった各種の加飾(かしょく)技法を駆使した「高士観瀑(こうしかんばく)」の意匠が精緻に表現されています。「高士観瀑」については、大正8年(1919)に出版された『画題辞典』(斎藤隆三(りゅうぞう) 著)の中で、「高節の士の瀑布(ばくふ)を観るの図にして、塵世(じんせい)を離れて自然の大観に対するさまを画とせるもの」とあり、中国や日本では古くから好個(こうこ)の画題であったと紹介されています。本作に見られる各モチーフのうち、渓谷や雲、松の葉、人物の大部分は金蒔絵、滝や流水、帯などは銀蒔絵で描かれており、これら金銀の蒔絵技法が加飾表現の中心となっています。また松の幹や橋、杖などには少し厚みをもたせた彩漆、人物の顔や手には象牙の象嵌、侍従の子供が肩にかけた荷物や靴には真珠色に輝く螺鈿が用いられています。色味や質感、厚みの異なる素材や技法が巧みに使い分けられている点に、作者の技量の高さが見て取れます。
箱の内部は全体に濃淡のある梨子地(なしじ)(蒔絵の一種)で仕上げられていますが、特に蓋裏には長方形に区分された銀地が設けられ、その中に中国・南宋時代の詩人・陸游(りくゆう)(1125~1210)の題画詩「題柴言山水」からとった「懸水三千仞 疾雷聞數裡 正暑凜生秋 倚杖者誰子」が金蒔絵で記されています。
滝は三千仞もの高さから流れ落ち
その轟音は激しい雷のように数里先まで聞こえる
真夏だというのに、ひんやりとした涼しさが秋を思わせる
杖にもたれて眺めているのは、いったい誰であろうか
なお、詩の原文や明治13年(1880)に出版された『墨客必用画題自在 乾(ぼっかくひつようがだいじざい けん)』(森琴石(もりきんせき) 編)では、懸水(けんすい)(滝)の高さを「三十仞(じん)」(およそ70メートル前後)としていますが、本作では雄大な自然をより強調するために「三千仞」とアレンジされています。作品名を一般的な「高士観瀑」ではなく「處士(しょし)(学識や人格がありながら、官職に就かずに民間で暮らす人)観瀑」としている点も含め、漆工の技巧的な部分はもちろん、作者が修辞に至るまでこだわりを持って制作したことが窺えます。
上田 祥悟(大阪くらしの今昔館学芸員)